織田 英嗣ストーリー人や地域の弱点をプラスと捉える。
そんな視点を、社会に根づかせたい。

織田 英嗣ストーリー

プロフィール Profile

吉田・織田合同地域創成研究所 代表取締役。
代表取締役。1963年生まれ、愛知県出身。高校卒業後、名古屋三越百貨店(現:株式会社名古屋三越)に入社。一貫して食品売場を担当し、2008年に退職。2011年、日本がんマネジメント協会を立ち上げ、その後、患者会であるめぐみの会を設立。

役職

めぐみの会代表、自然食の流通エコフードステーション代表、NPO法人ノーマカフェ理事長

経験分野

百貨店勤務時代には食品売場の担当として、商品からイベント、売場全体までの企画・統括を担当。45歳で退職した後は、既存の患者会の会長を経て自ら立ち上げた患者会の代表を務め、その一環で耕作放棄地を活用した農業にも携わった。吉田が代表取締役を務めていた(株)モクモク流農村産業研究所で、一時、アドバイザーとして商品開発や健康分野の事業に携わった経験も持つ。

人や地域の弱点をプラスと捉える。
そんな視点を、社会に根づかせたい。

生きがいの陰で蓄積していた歪み。

闘争心が強く、ボクシングのプロテストにも合格。仕事では、百貨店の食品売場が現在のような人気のデパ地下へと成長を遂げる過渡期の最前線で、新たなイベントの企画や新規出店者開拓により結果を残してきました。競争は激化する一方でしたが、思い通りアイデアを仕掛けられることに生きがいを感じ、ポリシーを持って臨んでいました。しかし転勤先のスタッフとの軋轢や会社組織の変更、世間で相次ぐ食品偽装による消費者クレームの増加などにより、自由度は奪われ負担は激増。それにも関わらず結果を求められ、次第に「何のために仕事をしているのだろう?」という虚しさが募っていきました。

心身を蝕んでいた、うつ病と食道がん。

ある朝、起き上がろうとすると泥沼のような感覚で布団から出られず、精神科でうつ病と診断されました。周囲には病名を隠して4カ月間休職し、復帰後は無理をして仕事を続けました。周囲はもちろん私自身も、「うつ病はなまけ病」と思っていたのです。会社の健康診断で食道がんが見つかったのは、その半年後のこと。体の病気なら堂々と休めると、かえって気が楽になりました。しかし待っていたのは、1カ月の抗がん剤治療後の15時間に及ぶ手術に、合併症による再手術。それでも不安や孤独を持ち前の闘争心で跳ね除け、40日で退院を果たしました。

生き方を180度変えると決意。

本当の苦しみは退院後でした。退院後の診察で医師から告げられた言葉は、「5年生存率は30%」。愕然としました。小学生の子どもたちは? 妻は? 暗闇の中でもがき続け、名古屋の患者会に出会います。そこで教えられた「がんの原因は食事・ライフスタイル・ストレス」の言葉がすべて自分に当てはまり腹に落ちたことが、それまでの生き方を180度変えようと決意するきっかけになりました。そして生活リズムや食生活を変えることから始め、患者会にも入会して学ぶ中で、“ワクワク・楽しい・幸せ”を感じながら自分らしく生きることが生命力を高めると気づいたのです。仕事を続けることは難しくなりましたが、命には替えられないと退職を決断しました。

生きがいづくりのための患者会を設立。

その後、自身の経験を生かして苦しむ人の助けになりたいと、既存の患者会の役員などを経て、患者会“めぐみの会”を立ち上げました。がん患者さん同士が互いの体験を語り合い、不安を取り除きながら楽しく学べるよう、克服講座やワークショップといった各種活動、無農薬野菜を使ったカフェの運営などを行っています。病気の治療を目標に置くのではなく、病気をきっかけとしてそれまでの生き方を見直し、“人生を幸せなものにする”ことに目標を置けば、病気は気にならなくなり、自然治癒力も高まる――がん患者に限らず、生きづらさを抱える多くの人に、そんな自然に近い状態で生きる大切さを伝えています。

めざすのは“安心して病気になれる社会”

患者会の活動を通じて出会った吉田から、この吉田・織田合同地域創成研究所の計画を聞いたとき、モットーとする「来たバスに乗れ」の言葉に従い、喜んで乗ることにしました。自分自身もそうですが、社会から見たら離脱者でも、経験という“資源”を持っています。事実、めぐみの会のカフェイベントでは、会員自身がボランティアとして接客や楽器演奏のスキルを発揮しています。加えて社会的弱者には、弱さを知っている強さもあります。私自身、闘病がなければ今の自分はないと断言できます。それらをプラスと捉える視点を、企業や地域に根づかせたい。私が実現したいのは、人が安心して病気になれる社会。それまでの働き方を捨てなければならなくなっても、「もう一つの人生がある」と取捨選択できる社会です。